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もう1つの目玉として、墨田区は葛飾北斎の資産を持っております。北斎美術館の計画があります。これもまちづくり交付金事業の中の1つになっていますが、東日本大震災があって、耐震構造の設計の見直しのため若干遅れているということです。
(図16)
こうした整備工事がほぼ終わりまして、現在の姿がこのような形になります。タワーの足元の北十間川の河川整備が終わっているところでございます。不思議なもので、こういうことが起こると、周りからお店も出そう、人も集まろうという動きがあります。
(図17)
タワーの南側に、浅草通りという広い通りがあります。通り沿いには新しい店ができ、また開店準備中の店もあります。北十間川の南側に通りがあってこの道路もきれいに舗装が終わって、カフェができたりしていますが、主に若い人が進出しているのではないかと思います。
(図18)
結構有名になりました「おしなりくん」です。押上・業平橋という地名ですので、前々から「おしなり」という呼び方をしていましたが、キャラクターまで生まれてしまいました。先週、この辺を歩いていたら、人がたまっているので、見てみると「おしなりくん」が出ていました。「おしなりくん」を取り囲んで写真を撮ったり、ワイワイやっていました。そんなにぎわいもできつつあるという昨今です。
(図19)
「すみだ百景・すみまるくん・すみりんちゃん」という区内循環バスが、3月20日から3ルートの運行を開始しました。これが開業間際のタワーの周辺の状況です。

 

2.すみだの観光まちづくり~江戸から今に至る歴史と文化を活かす~

(図20)
ここからが観光の話になるわけです。これはタワーの一番てっぺんのさらにてっぺんにあるゲイン塔の上に乗っている避雷針です。634メートルというのはここになります。高さ1メートル50ぐらいのものです。
(図21)

 

 

 

 

 

 

 

 


5月22日にタワーの隣の東街区のビルの5階に、墨田区が「産業観光プラザすみだまち処」というのを開業します。この中に「すみだのてっぺん」のレプリカをつくってしまいました。子供たちが「すみだのてっぺん」にさわれる工夫をしております。
 こういったアイデアは、小山薫堂さんという映画「おくりびと」の脚本家に全体のプロデュースをしていただいています。ああいう人たちはやはり突拍子もないことを考えるなと思いました。タワーの街区に来客数が2500万人という数字を申し上げました。タワーの塔本体に上る人だけでも年間540万~550万人おります。タワーは4階からエレベーターに乗って5階でおります。おりると渡り廊下があって、真っ直ぐ行ったところにこの「まち処」があります。手前の右側にはケーブルテレビのJ:COMのPR施設やセガの施設がありますので、人はここにかなり流れてくると思います。ここに来たお客様に墨田のものづくりをしっかり見ていただく。街歩きをしていただくための街の魅力を紹介する。お茶を飲みながら墨田の銘菓を食べていただくお休み処を用意し、ものづくりの紹介をして、街歩きにいざなうためのコーナーを用意して、街へ出ていってもらおう、街に導こうというねらいがあります。
(図22)
ここで墨田の街を簡単にご紹介したいと思います。皆さん、この地図(3Mマップ)をご覧ください。これが現在の墨田区の地図です。中央部分から北側と南側は地図で見てもはっきりわかるように街の構造が違います。北側を昔は向島と呼んでいましたが戦前は向島区という区がありました。南側は本所区という区でございました。墨田区は本所区と向島区が一緒になって昭和22年にできた区ですが、もともと成り立ちが違います。
向島と言われるところは、江戸の頃は江戸市中に野菜などの農作物を提供する農村でした。徳川将軍が隅田川の遊覧や鷹狩りで訪れた遊興の地でもあります。吉宗が1717年に桜の木をここに植えました。今も墨堤の桜という桜の名所としても有名でございます。
また、もとをただすと在原業平がここに来て、「名にし負はばいざこと問はぬ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」と詠んだ地でもございます。その在原業平の後に梅若伝説というのもここで生まれております。謡曲「隅田川」の舞台です。そういうことがあって、この地というのは大変文学的な情緒を漂わせた伝説の地となったのではないかと言われております。


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