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(図46)
天津の駅をおりて驚いたのは、旧フランス租界。この辺は旧ロシア租界だと思います。フランスの大使館や領事館、政府関係の機関、会社があった場所を復元して使っている。日本橋川よりもきれいな感じです。天津港は昔は川の港で、この辺が中心街でしたが、今の海の港はもっと下流のほうで、天津駅の駅前はこんなにきれいな場所ができ上がっております。これも日本橋周辺が目指しているまちづくりです。やろうとしたのははるかに日本が早かったと思いますが、中国はもうでき上がっている。主客転倒している部分だと思います。
(図47)
天津の中心街。旧市街は旧商店街の部分として残している場所もあります。1930年代のデパートが集まっていた場所は、それなりにリニューアルして、街路も整備し街灯もつけて、電線も地下化して、非常にきれいな通りになっております。そして、中心の天津の中洲部分は、超高層ビルが立ち並ぶ新市街を建造中であす。模型をつくったら、そのとおり、5年後、10年後にはでき上がってしまうというのが中国の実行力だと思います。
(図48)
これは西安、西部経済圏の中心です。2010年3月に行きました。西安は長安の都です。長安の都の旧城壁が残っておりまして、旧城壁の内部はまだ中国的な屋根を載せたようなビルが並んでいます。ただ、城壁の外側は新市街ができ上がっています。
(図49)
大明宮という遺跡があります。西安の鉄道の駅に非常に近い場所です。そこはほんのちょっと前までは貧民街でしたが、貧民街の部分を駅の整備とともに大改造しました。その外れに大明宮があります。奈良の平城京が今少しずつ復元されていますが、平城京の数倍の大きさの大明宮の遺跡です。中部分が全部立ち退かされて空間になって、これだけ緑を植えて池を掘っている。これが一番南側の門の部分です。全部つくり戻している。皆さんがいらっしゃるころには大明宮遺跡が大整備されているでしょう。この空地を借景として周辺部に超高層マンションが立ち並びつつある。皆さんは上海や北京や広州あたりはご存じかもしれませんが、西安、昔の長安も物すごく変わっています。西安には昔、三井不動産が唐華賓館というホテルをつくりましたが、唐華賓館の周りは、唐の時代の町並みを復元しまして、大きな池を掘って、その周辺を高級マンションが借景として見おろしている。中国のある意味で国力のすごさを感じさせるまちづくりが随所に展開されております。
(図50)
これは西安の新市街地です。これは美術博物館です。これはオフィスビルです。これは政府官公庁です。中心街はまだ中国風の建物が並んでいますが、郊外に行くとモダンなビル街ができ上がっております。
(図51)
最近、重慶の人が追放されましたが、重慶の中心街です。重慶というのは西の大都市です。周辺を合わせますと1億人ぐらいの人口規模がある重工業都市であります。重工業都市から、近代産業が発達する町に変えようとして、非情な再開発が行われております。
(図52)
これは揚子江です。揚子江の向こう側に、香港と見間違うばかりの超高層ビルの住宅が建っています。500メートルを超えるビルを中心としたまちづくりが行われております。
(図53)
上海にもありましたが、新天地です。中国の大都市に何カ所か開発されていて、重慶にも新天地が開発されています。飲食ビルとホテルとオフィスビル、それを取り囲む高級マンションでまちづくりがされています。東京ミッドタウンをモダン中国風につくり上げたものです。これも好き嫌いがありますが、こういう町並みの中で生活する人が増えますと、先ほど言いましたように、道徳観あるいは日常の振る舞いが変わってくるんですね。大阪の北の方に、JRの大阪駅がきれいになって伊勢丹が出店して、大阪の雰囲気を変えている町がありますが、あのあたりを歩いている人の立ち居振る舞いは東京の人に似てきています。風景が変わり、環境が変わると立ち居振る舞いが変わる。
この新天地も、大都会のこういう場所にカフェがあって、そこで若い人でも中年の人でも時間を過ごしていると、中国に生まれて中国もここまで来たかなという感慨にふけってしまいます。ワーワーとうるさい中国人とはちょっと距離を置きたくなるような人に変わっていきます。環境あるいは生活パターンが人を変えていく非常に象徴的な開発だと思います。新天地というのはよくできた開発で、日本人でこの開発に一部サジェスチョンされた方々もいらっしゃいます。重慶というのは、日本人から見れば、まだなじみの薄いところですが、中国も本当にここまで変わってきたなという場所が重慶の中心部にもできつつあります。
(図54)
中心街の歩行者専用道路も日本よりはるかに広いです。緑のボリュームもなかなかのものですし、周辺に立ち並ぶオフィス街の雰囲気もまあまあのものです。
(図55)
揚子江の河岸に7階建てぐらいの高さの木造主体の建築群があります。これは飲食を主体とする遊興ゾーンになっています。中国の方が夜遅くまで飲食をするというのは昔に戻りつつあります。夜遅くまで飲食のお客さんが楽しんでおられますし、それ以外のサービスがどれくらいあるかについては詳しくはありませんが、同行した人間は、ある程度そういうサービスもあるんですよと言っていました。中国も共産主義ですが、資本主義の国々とつき合うためには、非常に自由な部分が増えてきた。それが今回の政変の1つの遠因になった部分もあるかもしれません。重慶というのは表裏があって、庶民のために住宅を増やすという表の部分と、ダーティーな取引の部分があったように思います。
(図56)
一方、日本の商業資本がかなり進出している成都があります。三国志の時代の諸葛孔明がいた都のそばです。四川の西の山奥です。ここにはイトーヨーカドーや伊勢丹がスーパーやデパートを出していまして、日本以上に利益を上げています。中心街は、ペデストリアンデッキが3階レベルででき上がっています。ここは500万人ぐらいのレベルの都市だと思いますが、開発が進んでおります。
(図57)
万達広場というのは、日本でいえば百貨店のその下クラスのショッピングゾーンです。H&MやONLYというブランドが出るようなショッピングセンターです。平日でしたが、かなりのお客さんを集めておりました。飲食街は、ラーメン店とか中華店、日本料理店、おすし屋さんも含めてかなりにぎわっておりました。
(図58)
成都には有名なお寺がありまして、お寺の門前町の部分です。これも、昔の中国を思わせるようにしながら昔の中国よりきれいです。再生しています。その中にスターバックスコーヒーも入っております。


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