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村の人たちがすべて主人公となる村づくり。そこに交流人口という概念を入れました。観光とは交流ということで、村のおばさんたちを都会の人たちが訪ねてくる人がすごく重要ということになり、トンキラ農園という施設をつくり、その後、浪合フォ―ラムという施設づくりにまで発展しました。
100人の土間ホールを木造でつくりました。ここは1000メートルの高地ということで、冬は零下10度以下になるところですので、ここの教育長に当初から、内地の建物を標準にするな、北海道の建物を基準に考えてくれと言われていました。ここでは、木造として、サッシもアルミは使わずに木製のサッシを開発し、ペアガラスやLow-Eガラスを使いました。暖房も深夜電力を利用した顕熱型の床暖房ろしたり、さまざまなことを考えました。これは私の環境建築を始めたきっかけになる大事な建物です。
(図40)

 

 

 

 

 

 



その後に、今は豊田市になっていますが、旭中学校を設計しました。愛知県の岐阜側の村で、そこも寒いところで、同じように木造の学校をつくったわけです。これは準耐火構造です。先ほどの浪合の時にはまだ準耐火構造というのがありませんでしたが、ここで準耐火構造という構造の方式が法律化されて、それに基づいて設計しました。木造についてはこの二つでさまざまな制度的矛盾があることを感じました。それが一昨年、公共建築を木造でつくるという法律に結実していくきっかけにもなっています。
小さな学校ですので、内部の室内面積をできるだけ小さくして、半外部の部分を大きくしました。玄関のピロティから内部に入る中庭が全体の中心で、この空間も1つの外の部屋だということにしました。床は木でつくられていますので内履きで利用できます。階段状の、全体としては野外劇場のような空間になっています。
(図41)
構造は、1階はコンクリートとし、その上に木造の柱、斜材をつくるという混構造で進めたものです。
(図42)

 

 

 

 

 

 



学校に関しては、その後もいろんなところで木造の学校を提案しております。2005年くらいに奈良県の吉野に近いところに菟田野小学校を設計しました。これも2階建てです。もちろん法規では学校は2階となっていますが、これがおかしい、現代の技術では木造3階でもできるはずだと主張しています。この学校では2階床までRCですので、1階はどうしてもRCの建物と同じになってしまいます。そのため、2階の柱が外部で1階までおりてくるような半外部空間のつくり方をしています。

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