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私自身は庭園に関心があったので、日本庭園河原者造型論という論文を別に出しました。また、日比谷に通い乍ら気付いたマン・ウォッチング、考現学にも関心があったので、そのテーマで1人間の占有空間特性として論文を出しました。この論文は協会賞をもらいましたが、もうひとつ日比谷の歴史と現況の研究に一番エネルギーをかけて、丸2年、日比谷に毎日のように通ってたんですが、それは読んでもらえず全く評価さなかった。
そんなこともありまして、定年と同時に、ここをちゃんとクリアしてから死にたいと思い『日比谷公園・100年の矜持に学ぶ』(鹿島出版会2012)という本にまとめました。この本は、日本造園学会特別賞や日本生活学会「今和次郎賞」をたまたまいただけることになりました。だから私としては殊のほかうれしいわけです。
今申し上げたように、日比谷公園は何回か改造の危機がありました。私は、改造設計を卒論のテーマに与えられたのに研究すればするほどすばらしい公園で今では歴史的建造物と同じように、歴史的公園として、文化財性もあるし、変化の激しい都心に残すべきだと思います。ただ、周辺との関係で残し方のテーマがあって、日建設計の総合研究所でそういう研究会をやって、私もそのまとめ役をさせていただきました。そんなこともあって最後に今後の都心のあり方も考えてみたいと思います。
(図1)
「日比谷公園には近代日本のすべてがある」ということです。今日ご参会の多くの方は建築系だろうと思います。少し観点が違うかもしれませんが、私は造園家ですから、公園の重要性や意味についてもお話ししたいと思います。
建造物は今の東京駅のように、都心開発の象徴的なものとしてずっと評価され続けていますが、公園は残念乍ら違う。緑地はついでみたいな程度の認識です。
私は、昨日、NHKのラジオ深夜便という番組で、日比谷公園紹介の話をしました。東京駅の設計者は辰野金吾さんです。今、見事に復元されてライトアップもされています。その辰野さんが造家学者として東京駅をつくる。その真正面には皇居がありますから、行幸道路ができてイチョウの並木道ができたわけです。当時、日比谷は練兵場でした。近衛兵達の練兵場として使われていました。その前は江戸時代ですから、幾つかの大名屋敷があったわけです。文明開化で公園をつくる。今でいう都市計画的で東京の中央公園がスタートするわけです。スタートまでのプロセスに、いろいろ曲折がありますので、そこからお話をしたいと思います。日比谷公園は理想に燃えた近代日本初の輝ける公園としてスタートしました。そして今、社会的格差問題の象徴として年越し派遣村が話題の舞台になっています。その間、110年の歴史を重ねています。
 日比谷の野音は、私自身にもそうですが、学生運動の場所でした。音楽の舞台だけでなく政治集会の場所でもありました。そういう時代を経て今に至る。最後は、これからの都心づくり。先ほど言いました都心再生です。日比谷公園と周辺はどうあればいいか、そこまで議論してみたいと思います。日本近代の夜明けから、新しい東京へです。東京駅の再生、丸ビル、新丸ビル、大・丸・有のエリアマネジメントへ広がる中で、公園は一体どういう意味を持つのか、そんなことも考えてみたいと思います。
(図2)
 『ひろば』という東京都公園協会の広報に、今回日比谷公園が特集され、私が書きました。この特集は、ひとり歩きできるように詳しい。全体のポイントを説明して、公園ですから、なるべく楽しくと思っております。
明治22年(1889年)に東京市区改正設計の委員会で、公園計画が議定されます。125年ぐらい前になります。日比谷公園の歴史は計画決定からだと125年になります。ただ、それから10年以上なかなか具体化しない。その間、約10種近いプランが登場しますが、みんな没です。それは文明開化の公園というものに対する期待の大きさでした。当時公園専門の技術者、いわゆる造園家はまだおりませんでしたから、いろいろな関係団体などがいろんなプランを出したわけです。こうしてようやく明治36年、「仮開園式」を行います。もっともその後「本開園式」はないのですが。
そして、平成15年には100周年バースデーイベントを盛大にいたしました。
このあたりから都の財政問題もあって、指定管理者など民間活力を使う努力をはじめています。公園だって維持管理費がいる。質の高い管理には、資金だって調達を要する。日比谷の場所柄もあって利用希望者は非常に多いわけです。今や維持管理メンテナンス運営管理ではなくてパークマネジメントの時代になりました。日比谷で、ビール祭りオクトーバーフェスタやパークウエディングをやらせたりして、資金調達もし、公園のサービス水準アップにもつながりました。1基10万円で思い出ベンチの寄付も受け付け、評判をとりました。
平成15年の100周年バースデーイベントは、東京都のパーク・マネジメント元年の意味合いも持ちました。これからの新しい時代の公園管理はどうするか、公園経営論の本格スタートです。
私の大先輩の井下清は明治38年に東京高等農学校を出ました。やがて井下は、東京市の公園行政の元締めになります。生涯を東京公園経営に捧げた人です。東京の公園は、皆様さんご存じないでしょうけれど、独立採算制で戦後までやって来たんです。公園には、税金を投入していないのです。上野公園の不忍池のボートや井の頭公園のボートの利用料、墓苑も利用料をいただいてそういうものを貯金して日比谷公園の建設資金もまかなったのです。皆さん、どうしてと思われるでしょう。

 

 

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