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第4は、「生活史」。空間時間です。日比谷は開園してから間もなく110年を迎えます。計画されてから120年を越え、当初は木もまばらで撹乱公園と呼ばれたほど緑が弱かった。大体、植栽費が不十分。本多静六は東京帝国大学農科大学の農場から安い苗木を払い下げてもらって植えたといいます。日比谷公園に行くと日射病になると言われたくらいひどい緑だった。今それがやっと100年を経て豊かな緑に育ったわけです。日比谷はもともと「シビヤ」といわれたように東京湾の入江で海苔を栽培するシビが立っていた海です。ですから、1メートルも掘ると地下水が出てくる。根がまっすぐ入っていかないので、植物が育つには本当に時間がかかるんです。そういう悪い条件を時間が克服したのです。日比谷の現在は、設計者というより時間がつくった。といえるかもしれない。
公園にも人の人生と同じように生活史がある、一生があると思っています。それで、私は公園生活史を大切に考えてきました。元勲達の国葬会場として日比谷公園は使われたり、政治的事件の舞台ともなりました。
第5は「理想と憧憬」。日比谷公園はあこがれの空間だった。3つの洋をはじめ、彫刻展のようなモダンアートから江戸以来の伝統菊花展まで。また子どもに人気のミニ動物園もありました。公園には生き物も大切なんです。ネーチャ-・スタディーというコンセプトで公園における子育てがおこなわれました。それが日比谷公園での児童遊園です。まさに次の世代をどう育てるか。結核が多い時代、排気ガスがひどく子育てなんておよそ無理という中で、日比谷の児童遊園に行けば、すごく健康によくて病気にならない。しかも、頭もよくなって、一高、東大に行くと言われました。これが日比谷児童遊園物語です。環境教育の先駆ですね。ともあれ戦前の日比谷公園は高質のパークライフを提供しました。
戦後は、GHQに接収され、後、復帰してさまざまな形で使われます。国家広場のような時もありました。東京のど真ん中ですから、公会堂があり、野音があり、政治の集会拠点にもなったわけです。戦後は国家的な位置づけから、まさに都民のための空間に変わっていきます。例えば東京モーターショーの第1回~4回は日比谷公園でした。宇部や須磨離宮など日本中の公園が彫刻をテーマにしていますが、その最初は日比谷です。日比谷公園は、これからの都民生活の舞台として、また一方で、都心の再開発の中でどういう役割を果たすか何を求められるかですね。
先ほど『日比谷公園』の本で日本生活学会「今和次郎賞」をもらったとありましたが、「考現学」という言葉は今和次郎がつくった造語です。考古学に対して考現学。現在をウォッチング、観察して、現代を明らかにしていく。私は、卒論のとき、明治神宮内苑で調査しました。広大な芝生の中で利用者は一体どこにどういうふうに位置を占めるか、カップル間距離は40フィートぐらいなどいろいろ調べました。これには公園は利用者のものだという価値観があったからです。造園学科に入ると、授業で図面を描かせる。みんな美しいカッコいい図面を描くんです。建築もそうだと思います。でもそれが本当にユーザーのためかどうか考えもしない。デザイナーは自分の好きな絵を描くわけです。これに強く疑問を持ちました。「卒論で日比谷の改造設計案をやれ」と言われた時真っ先に、利用者は何を求めているかを詳しく調べようと思いました。それが考現学です。当時、今和次郎や考現学という言葉は知りませんでした。知りませんでしたが、今先生と同じことを私も実はやっていた。その一部は後でご紹介します。公園での24時間利用調査もやりました。日比谷公園の空間はほんとうに多様でいろいろ違うので、利用の形も本当にさまざまです。
第7は、公園というものと都市開発との関係です。「負から正の関係性へ」です。先ほど私は、建築界は恵まれている、また公園はやっと生きてきたと申しました。さらに言えば、公園という空間は建物に占拠される空間であり続けました。上野公園が典型的です。つい最近、上野公園では、全国緑化フェアがあり、数年前石原知事に「文化の森構想」を立てよと言われ、私は委員長を務めました。上野公園内の森の中を少し明るくして、通れるようにスターバックスや、オーガニックレストランを東京都多摩産材木材でカフェもつくりました。噴水を新しくし、イベントも可能に親しまれる公園にしようと頑張りました。ただとにかく上野公園は、美術館、博物館、科学館がビッシリで、建物の間にある緑地が公園というふうで、つまり公園はほとんど建物用地です。
日比谷公園もそうです。第一国立劇場の計画時にも、建築界のかなり偉い方が、日比谷公園を敷地にしたらどうかと言いました。二国(現、新国立劇場)の時もまた家協会の幹部が言っている。私からみると信じられない。建築家だって職能から環境プランナーであり、デザイナーのはずです。環境全体を見るプロでしょう。それなのに、国立劇場の敷地は日比谷公園のほうがいい。今の二国は初台で、あんな不便なところはダメで、日比谷公園がいいとはっきり書いておりました。立地を議論するのは構わないが、公園を建築用敷地の予備地としか考えていない建築家がいること、オープンスペースの意義を理解していないリーダーがいることは信じがたい。しつこく言って済みませんが、そういう現実を皆さんはご存じないだろうと思います。日比谷公園は日照権はないのかという都民の問題提起もあって周辺の高層化に市民の批判が出されたこともこれまでに起きました。
私は、世田谷の都市美委員会委員でいたとき、内井昭蔵さんと知り合って、砧公園の一角に世田谷区が美術館をつくることになりました。当初私は、「公園面積を減らすのか」と異論を唱えましたが、内井さんのプランを見て賛成し、オープニングイベントの植樹祭を企画実践して応援しました。美術館ができて、結果的に砧公園の利用者は何倍にも増え、公園の存在感も強まりました。私は内井さんに公園建築という新しいジャンルをつくってはどうですかと話したこともあります。彼は公園を十分に意識した建築をデザインした。高さを抑え、分棟化して、屋根も丸屋根にしたり、タイル1つ1つの非常に細かいディテールまで追求されて、緑に調和する建築を内井さんは完成しました。私は桂離宮が代表するように日本の美は本来建築と造園が協力し合いコラボして、共生してきたと思います。緑を、建築の外構としか考えない建築家にだけ文句を言いたいです。
私は、歴史も研究を基調にしてきましたので、日比谷公園の歴史性の重さを強調しています。だからといって決してすべてにアンタッチャブルという考えではないんです。現代都市の中で生きている重要な経済空間都民共有の財産としてそれが適切に生かされなければならないとも思っています。重要なことは、一方的に建築や開発に侵されていくのではなくて、むしろ堂々と日比谷公園の歴史的公園都市開発で強さを総合することで新しい環境を創造すべきだと思っています。
(図3)
公園協会でつくったパンフレットです。これがあればお1人でも行けると思います。写真にはたくさんの利用者、小さな子どもから、カップル、オフィスマンの昼休みの風景まで入れました。それは公園は人が主人公だといいたいからです。デザイナーはとかく自分の作品だとしっかり言いたい。イサム・ノグチのモエレ沼公園みたいなものはいかにもイサム・ノグチの作品です。それでも公園は、利用するのは人がメインなんです。日本庭園と根本的に違うのは、公園は人がいないと絵にならないということです。利用者が多ければいい公園だといっていいでしょう。公園とは、そういう入れ物だということを知ってください。大勢来てくれる魅力がなければならない。先ほど、幕の内弁当だと申しました。さまざまなニーズに応える空間が要る。オープンな空間、クローズな空間。明るい空間、暗い空間。ハードあり、ソフトあり。水のある場所もあれば、歴史のある場所もある。それが揃っているのが日比谷公園です。

 

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