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フリーディスカッション

 先生のお話を聞いて、私たちも今までの消費生活あるいは考えを考え直す機会をいただいたと思います。先生の手にかかると、余り美しくないところが美しいお店に変わったり、美しい通りに変わったり、美しいまちに変わったりする。ここ1カ月は被災地の本当に厳しい状況を私たち見聞きしてきましたので、今日は夢をいただいたように思います。どうもありがとうございました。
それでは、皆様、先生にご質問のある方は手をお挙げください。

赤松(市民情報誌+α編集委員会) 細かくいうと2つあります。 まず1つ。亀戸や海老名、横浜、非常にふだん使いの施設を都心につくるということは、日常性のある都心にするという意味で重要なことだと思うんですが、一方で、江戸時代もある意味そうだったのかもしれませんが、都心的なお金をかけた空間から、短期間で収益化できる、郊外と同じような商業施設になるという流れも、一方で見てとれなくはないような気がします。この点、郊外と都心のあり方をいかに組み直していこうとお考えなのか。ファミリーマートなんかにしても、いわゆるチェーンのふぉミリーマートと違うものをつくるということは、画一的ではないという取り組みではあると思うんですが、そういった点とのかかわりをまずお尋ねしたい。
もう1点は、日常と非日常ということで、日常に対しての非日常をつくるときに、下手をするとテーマパーク的なものになってしまいがちであるけれども、日常性を持ちながらテーマパーク的にならずににぎわいのある場面をどんなふうにお考えなのか。 その2点をお尋ねしたいと思います。

北山 1つは、日常と非日常ということです。自分たちの、例えばサンストリートなんかの例を挙げると、日常生活の中に全く違う非日常を作っています。パフュームはあそこからスタートしています。えらくスターになりましたが、パフュームにしてみれば、自分の演劇活動の日常なんですね。ところが、日常の生活をしている人は、突然パフュームが出てきて歌うというのは非日常だと思うんです。利害が1つになっているのではないかなと思うんです。そういう意味で、毎日行ったら少し違うことが起こっているということが生きていて楽しいなと思えることではないかなと思うんです。
そういうことで、僕らも結構無理があるのは、商業施設は1つのビル事業です。ビル事業として、ある程度の事業の採算性のよし悪しはございますが、事業にならないとスタートしないんです。僕らはある意味企業をうまくいいくるめているようなところもあるんですが、我々の考えていることを聞いていただければ、普通は20年しかもたないビルが40年もちますよ、継続しますよといういい方をして説得しているつもりです。
片方で、商売は、仮設・可変で、いつもテント小屋みたいなものでやっているのが正しいのではないかと思ったりすることがすごくあります。余りにもたくさんのお金をかけて高い物を売って収入を得ていくというのに無理があるのではないかなと思うんです。東京の中で、本当に日常生活で豊かなものをつくろうとしたら、例えば、僕は世田谷に住んでいます。余り車が通らないような道がたくさんあるんですが、その車が通らない道を全部まとめて公園にして、周りから入ることができるような今までにない法律をつくらないといけないなと、自分の家の周りを見ているとすごく思います。相続が起こるたびに100坪が50坪になり、50坪が25坪になり、そのたびに緑が失われていく。こういうものは戦後つくられた法律では賄い切れないのではないかなと思っています。
質問に答えている部分と答えてない部分とあると思いますが、いかがでしょうか。

赤松(市民情報誌+α編集委員会) ありがとうございます。

河合(㈱竹中工務店) すばらしいお話をありがとうございました。1つお伺したいのは、今日おっしゃっていただいたような、非常に高いお金をかけてテナント料を払ったり、建物を建てたり、商業をやられている事業主体が投資家たちに利回りを返していくのに物すごい高額な商品を売っているわけです。不動産事業のほうは株主に還元するために収益性の高いものになっている。そこで売っているものは不当に高いということはみんなわかっていて、本当はもっと安いもの、楽しいものを買いたいと思っているけれども、ビジネスや経済が流れているのを誰もがとめられないとみんなが思っている。みんなが思っているのになかなか変わらない。我々もビジネスの一端を担いでいますが、どうしてなのかと思うことがあります。みんなが思っていることは、本当に豊かさを求めることであれば変わってしかるべきだと思いますし、ヨーロッパではそういうことは市民のレベルである程度思っていて、大きければいい、たくさんあればいいと思っていない人がたくさんいると思うんです。その辺を変えていくヒント、みんなが思っている価値観を世の中に実現していく切り口があれば、コメントいただけたらと思います。

北山 ご存じのように、僕はわからないんですが、巨大なお金があるんです。そのお金が世界中から来る。今僕は、千歳周辺で700万坪ぐらいの仕事を1つさせてもらっています。そうすると、その周辺は原野ですが、そこに施設をつくる許可がおりるとなれば、すぐに50億円や100億円のお金が来るんです。それに10%ぐらいの利回りがあればオーケーということになるんです。
今まで30~40年前やっていたような、物をつくるなら、銀行にお金を借りに行く、そんな形ではないんです。誰のお金かわからぬお金が来るんです。誰のお金かわからないものが来て、利回りを要求されるので、結局どんなものをつくればいいのかとなると、画一的な巨大なものができる。当初は利回りがいいかのように見えるんです。ファンドの建てたビルやリートで建てたビルが六本木周辺にありますが、家賃は、周りが安くなっていても安くできない。そのまま余っているというビルが3軒に1軒ぐらい西麻布周辺にはあるんです。これが10年もたったら何か処理をしないといけなくなりますよね。そのときぐらいから僕は変わってくるんだろうと思います。
大きいものをつくらざるを得ない。昔、30年ぐらい前までは、つくれば売れましたよね。商店街でも物を置けば売れました。つくれば売れるというのが既に20年ぐらい前に終わっているのに、どんどんお金が来るもんですから、つくるんですね。
今、高層マンションがどんどんできて、どんどん皆お買いになった。僕の友達も40階に住んでいますが、電話がかかってきて、怖くて自分の家に帰れないというんですね。有名なやつなんですが、もしエレベーターがとまったらどうしようかなと思うので帰れない。よっぽど度胸のあるやつしか40階には住まなくなる可能性もありますよね。肝試しみたいになっていく。今までは、僕は、「眺望がいいだろう」といって40階に自慢されて招かれたんです。僕は「ええとは思わない。怖いな」といっていました。2年ぐらい前です。
そういうふうにして価値観は変わっていくんだろうと思います。つくれば売れる、つくれば人が住む。そして働く場所がある。しかし、つくっても働く人も来ないし、テナントも来ないということが現実にもう起こっています。例えば六本木ヒルズを見ても、うまく隠されてカバーしていますけれども、かなり空き店舗があります。ずっと空き店舗があるということは恐ろしいことです。そういう都心の商業やらオフィスはたくさんあると思うんです。それがどこまで持ちこたえられるんだろうと思います。そういう意味で、巨大なお金は、僕らの身の丈に合ってないのかもしれないなとすごく思います。僕もそれに加担をしてきたので、偉そうなことはいえないんですけれども。
仕事のスケールをどんどん小さくしていきますと、総合計画料やプロデュース料は、それに比例して減っていくんですね。僕はもう年をとっているから給料は要らぬわといえるけど、若い人はそういえないからつらいなということも感じます。
ベイクォーターというところは竹中工務店さんに工事してもらったんですね。あそこは本当に人がたくさん来るんですが、中の店には人がいないんです。テナント料が月に大体坪3万円から4万円する。それは無茶なんです。そういうことがすごく起こっていると思います。僕は西麻布で仕事を約40年同じ場所でやっています。周りの店、3軒に2軒はクローズしています。
私の会社の真ん前にイタリア料理店でトットという店があるんですけれども、その店のオーナーに「店をつくるにはお金をかけるな」といって、20坪ぐらいの店を居抜きでもらって、改装を手作業で、うちの社員なんかと一緒にやって、100万円でつくったんです。それでやっとやれている。その人に僕は震災以前からずっと、「店に来る人には1人ずつに丁寧に頭を下げて、気持ちを入れて、フロアに出て、お客さんの要求を聞いて」といっていたんですけど、全然やらないんです。震災後は毎日やっています。(笑)すごい震災効果だと思うんです。震災以前より売り上げは若干いい。こんな飲食業の店は結構少ないんです。
だから、汗を流して、知恵を出して、工夫をして、小さなことから、再度始めるのはいいのではないかなと思うんです。僕らはその小さなことから再度を始められる規模にあるので幸せなのかなと思います。

 ほかにどなたかいらっしゃいませんか。よろしいですか。
質問は以上とさせていただきます。 先生、本日はどうもありがとうございました。(拍手)
以上をもちまして、本日のフォーラムを終了させていただきます。

(了)

 

 

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