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(図54)
 

 

 

 

 


湯畑というのは、ベニスでいえばサンマルコみたいなところで、目をつぶっていても湯畑に出るというところなんです。
(図55)
この1カ所目にこういう施設をつくる。
(図56)
1カ所目は自動車があって、ごみみたいになっているんです。
(図57)











そこに日帰り温泉施設と、草津ガイドのあるサービス施設を、風情のあるものでつくろうといって、設計をしております。2012年に完成します。
(図58)
次の駐車場は棚田状の広場にしようという計画です。
(図59)
今の状態です。人を招いてお金を取っていながらこんな汚いものをよくほうっておくなと僕は思うんです。
(図60)











棚田公園にしようと提案したら、町の議会で決まりました。2013年には完成をする。まちの風情と美観、景観、歩いて楽しい草津をつくることを今やっております。

(図61)
私たちは、浜野安宏さんがやってきた20年と私の20年で、身の丈に合った名所をつくってきました。名所をつくればいろいろな人に出会うことができる。僕はいろいろな人と知り合うことがすごく好きです。自分は余り能力がないところもあって、能力のある人とつき合うとその人の能力を借りることができるので、非常に人好きなんです。名所、名物をつくればいろんな人に出会える。
(図62)
1人の人で、1つのもので、1軒の店で、まちは変わります。小さな単位で物事を考えたいと思って、45年ぐらい前に仕事をスタートしたんですが、ここ15年ぐらい前から、もう一度自分たちの原点に戻って、1人の人で、1つのもので、1軒の店でまちは変わるんだということを再認識してやり直しているところです。
(図63)
1968年に赤坂に「MUGEN」というゴーゴークラブを計画させてもらいました。その時に、三島由紀夫さんや堤清二さんなど、普通なら26~27歳の青年が出会うことができない人たちと出会うことができました。それが、生涯、名物、名所をつくるのに奔走しよう、自分の仕事にできたら最高だなと思うきっかけになった仕事であります。
(図64)
 FROM-1stは、1970年、ちょうど40年ぐらい前、僕が29歳の時に仕事を頼まれました。山下和正さんに設計をしてもらいました。住むこともできる、働くこともできる、遊ぶこともできる集合体はないか。そのきっかけになったのは自分たちの仕事場だったんです。自分たちの仕事場は20坪ぐらいのマンションを4つ借りていました。4軒借りると当然4つトイレがあって、4つ押し入れがあって、4つお風呂がある。マンションをオフィスに代用して使うということは、24時間使えるということと、大きなオフィスビルのように厳しい入居条件がない。だから、マンションメーカーといわれたぐらいファッション屋さんはそういうところをオフィスにしていました。そういうものを集めた専門的なビルはできないのかなということでFROM-1stをつくらせてもらいました。天井高の低いオフィスが多かったものですから、M2で貸すのではなくて、立方体で貸したらどうかというM3という考え方を出しました。
その時私の師匠みたいな真木建設の田中文男さんという人がいまして、その人に総合的なアドバイスをしてもらいました。田中さんに、「建物の高さはどれぐらいがいいのかな」といったら、「ばかやろう、飛びおりられる高さが最高だろう」といわれて、5階建てにさせてもらったんです。メゾネットになっていますから、4階から飛びおりれば何とかなる。その時にいろいろなことを教わったんです。宮大工のおやじですから、「家を買う、土地を買うならば、近所に寺があるかどうか調べろ」とか「川はどこにあるか調べろ。歴史を調べろ。そして建物を建てろ」といわれました。


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