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これもいまだにある建物ですが、1つずつの仕事に1つずつの自分の思い入れがあるなと、振り返ってみると思います。
(図66)
 東大の教養学部に野口徹という人がいました。「北山さん、1個の仕事では終わらないんだから、仕事を獲得するためにも1つの建物を建てたら、道を考えておかないといけないよ」というので、青山の通りをずっと考えました。FROM-1stができたあと、コレチオーネというのをつくらせてもらった。「この道を全部考えておけ」と言うんです。30~40年前ですけれども、「不動産を売ろう、もしくは貸そうとしたときに、いい道を通って、ここはどうですかというのがいい」というんですね。「いい道をつくれ。そうしたら自動的に建物の価値も上がる」といっていました。40年ぐらい前、このFROM-1stの前はほとんど住宅地で、まち並みにお店はなかった。1軒のブティックショップしかなかったんです。FROM-1stは500坪ぐらいの敷地ですけれども、その1軒の建物からまちはできていくんだなということを実感しました。
(図67)
 これは浜野さんとやっているころの仕事で東急ハンズです。もう一度「手」を復権させるという提案した。百貨店というのは、ご存じの方も多いと思いますけれども、テナントビルの様相を呈しているんです。ほとんどの場所をテナント貸ししているようなものでした。そういう中で、自分たちが仕入れて自分たちの責任で販売できるような流通業というものはないのかということで、東急ハンズを提案しました。今もずっとやらせてもらっていまして、昨日も東急ハンズ大阪店の開業を手伝わせてもらい、1カ月前には博多に東急ハンズ博多店を手伝わせてもらったりしております。
(図68)
 これは1976年に、アナログな暖かさということで、もう一遍こたつの生活を取り戻したらどうかという提案です。今回のように、電気の量が少なくなるとこういうものがすごく活躍するだろうなと思うんです。そういう意味で日本人の営々として引き継がれてきた知恵と工夫を振り返ってみると、素晴らしいものがたくさんあるのではないかなと思うんです。これも私どもの会社のチームの社員が、こたつを考え直そうよと言い出したところから始まりました。ここにカップルで男女4人入れます。こういうところに入っているとけんかもなくて仲よくなるよという話で、ロフテーという会社にこたつライフスタイルというのを提案させてもらったら、初めはどうなるのかなと思っていましたが、2年目からは百貨店の売り場に50坪ぐらいのこたつライフスタイルコーナーというのができるくらいはやった。
(図69)
 これは、子どもたちが、ピクニックに行って水に落としても大丈夫な簡単な防水カメラをつくったらどうかというものです。浜野さんがいい出して、富士フィルムに提案してつくらせてもらったものです。
 これも、富士フィルムの技術陣は3万円ではそういうカメラはできないということでしたが、弁当箱のおかず入れがあって、バチャッとゴムでとまっていましたから、それをうまく活用すればできるんじゃないかというのが発想のヒントでできました。みんなが必死に自分たちで考えてみようとするといろいろな解決方法が得られる場合が割にあるのではないかなと思うんです。
(図70)
 この扇風機は、倉俣史朗さんという人に設計を頼みました。僕がニューヨークに1980年頃に遊びに行って、篠原有司男さんというアーチストの家に行くと、この講演会場の半分ぐらいの広さで、天井は倍ぐらいありそうな大きなロフトで絵を制作していました。全部を冷房できないものですから、パーソナルファンというのを自分で持っていまして、足元だけ風をとっていたんです。涼をとるにはこれがいいなと思った。直径30センチぐらいの扇風機をつくろうというので、松下電工さんに提案しました。一応商品が5000台ぐらいできて、こんなものは売れないからノベルティーか何かで売ろうといっておられた。でも、やはり売ってみようということになって、売り出したら、その次の年から、各社全部小型のファンをつくるようになった。今回でもこの小型ファンを活用すれば結構冷房効果を得られると思います。省エネです。
(図71)
 倉俣さんです。
(図72)
 これは、神戸大丸です。どうしたらお客さんが来るかを提案をするように神戸大丸の専務にいわれました。神戸大丸周辺全部を神戸大丸と見立てて考えたらどうですかというのが提案でありました。神戸大丸の中の商品構成はよくわからないので、その周辺をよくする。まちをよくすれば人はくるのではないですかという提案だったんです。
(図73)

 

 

 

 

 

 専務と外に出たら、大丸カーポートというこれ以上見苦しいものはないという駐車場がありました。これからまず変えましょう。これを変えて、周辺のまちを本当に景観のいいものにすれば神戸の名所になりますよと、この時も安藤のつてで神戸市長に会いに行きました。まち全体をよくしませんかという提案をしたように覚えています。
(図74)

 

 

 

 

 

 これがこうなりました。神戸大丸周辺の500メートルぐらいの1階を店舗にして、空いているところはできるだけ大丸が借りる。今は、アルマーニやルイ・ヴィトンなどいろいろ入っています。これが1つのきっかけになって、ファッション街区、おしゃれな街区としては全国でも有数の街区になっているように思います。

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