
小松研究員が日建設計の道家浩平氏、石黒翔也氏と共に応募した提案「2084」が「新建築住宅設計競技2022 ビッグデータと都市—ウェルビーイングな空間デザイン—」に入選しました。デジタルテクノロジーと都市空間に関する提案について話を聞きました。https://sk-jutaku.shinkenchiku.net/
藤田: 入賞おめでとうございます。早速ですが作品の紹介をお願いします。
小松: ありがとうございます。私たちのチームでは、コンペのテーマであるビッグデータを「人々の行動ログ」と解釈しました。「2084」は、個人情報の記録が推し進められた未来、逆にデータを取らないことが空間を形成し得るのではないか、というアイデアです。
藤田: ビックデータを使った都市空間デザインが今回の課題ですが、小松さんたちの提案では虚(ヴォイド)の情報空間をデザインしようとしていますね。
小松: 突飛だと思われるかもしれませんが、発想の手がかりは素直なものでした。「最適化」という言葉を課題文に見つけたとき、おや、と思ったのです。近年聞くことが増えた言葉ですが、実際に最適を目指すのはそれほど易しいことではありません。ビッグデータの使用には必ず使用者の—そこには私たち設計者も含まれますが—恣意が介入しますし、よしんば公正に使用されたとしても、バイアスや探索の技術的制約は軽々しく最適を約束させてはくれない。ですから難しく考えるのをやめ、データを取らない空間を考えようと早い段階で割り切りました。
小松: ありがとうございます。私たちのチームでは、コンペのテーマであるビッグデータを「人々の行動ログ」と解釈しました。「2084」は、個人情報の記録が推し進められた未来、逆にデータを取らないことが空間を形成し得るのではないか、というアイデアです。
藤田: ビックデータを使った都市空間デザインが今回の課題ですが、小松さんたちの提案では虚(ヴォイド)の情報空間をデザインしようとしていますね。
小松: 突飛だと思われるかもしれませんが、発想の手がかりは素直なものでした。「最適化」という言葉を課題文に見つけたとき、おや、と思ったのです。近年聞くことが増えた言葉ですが、実際に最適を目指すのはそれほど易しいことではありません。ビッグデータの使用には必ず使用者の—そこには私たち設計者も含まれますが—恣意が介入しますし、よしんば公正に使用されたとしても、バイアスや探索の技術的制約は軽々しく最適を約束させてはくれない。ですから難しく考えるのをやめ、データを取らない空間を考えようと早い段階で割り切りました。
藤田: 「2084」というタイトルはどのように決めましたか?
小松: オーウェルの『1984』(1949)に引っ掛けましたが、提案の世界観はむしろ『ハーモニー』(伊藤計劃、2008)や、『PSYCHOPASS』(虚淵玄、2012)に近いと考えています。つまり、管理がよく行き届き一見調和的に見えるディストピアです。
藤田: 時代性を感じますね。
小松: 『1984』から70年以上が経ち、情報技術は当時より遥かに身近なものになりましたから、最近のSFには私たちの社会と地続きのリアリティがありますよね。そうした世界で人々の情報を集めるのは、抜け目の無いリトル・ブラザーたち、つまり携帯端末です。常時監視によって逸脱行為は姿を消し、人々の行動は徹底的に規範化されています。そこにデータを取られない空間、誰の目を憚ることなく振る舞える場所があったならどうか。人々は再び都市空間に自由に現れることを思い出すのではないかと考えました。
藤田: 「現れ」と聞いて、『人間の条件』(アレント、1958)で概念化された「現れの空間」が思い出されました。秩序意識が浸透した都市空間に「現れ」るのは、遠い未来でなくても難しいですね。
小松: 技術的に「現れの空間」を実現しようというのが、まさに私たちの試みです。ご指摘の通り今日であっても、ある種の意図が行儀の良い振る舞いとか消費活動を称揚し促す例はいたるところに見られます。海外では、例えば某国のスマートシティプロジェクトは、公共空間における監視を強めるとして人権団体等から批判を受けています。技術を使って、暗に「利口な」選択を人々に迫っていると。
小松: オーウェルの『1984』(1949)に引っ掛けましたが、提案の世界観はむしろ『ハーモニー』(伊藤計劃、2008)や、『PSYCHOPASS』(虚淵玄、2012)に近いと考えています。つまり、管理がよく行き届き一見調和的に見えるディストピアです。
藤田: 時代性を感じますね。
小松: 『1984』から70年以上が経ち、情報技術は当時より遥かに身近なものになりましたから、最近のSFには私たちの社会と地続きのリアリティがありますよね。そうした世界で人々の情報を集めるのは、抜け目の無いリトル・ブラザーたち、つまり携帯端末です。常時監視によって逸脱行為は姿を消し、人々の行動は徹底的に規範化されています。そこにデータを取られない空間、誰の目を憚ることなく振る舞える場所があったならどうか。人々は再び都市空間に自由に現れることを思い出すのではないかと考えました。
藤田: 「現れ」と聞いて、『人間の条件』(アレント、1958)で概念化された「現れの空間」が思い出されました。秩序意識が浸透した都市空間に「現れ」るのは、遠い未来でなくても難しいですね。
小松: 技術的に「現れの空間」を実現しようというのが、まさに私たちの試みです。ご指摘の通り今日であっても、ある種の意図が行儀の良い振る舞いとか消費活動を称揚し促す例はいたるところに見られます。海外では、例えば某国のスマートシティプロジェクトは、公共空間における監視を強めるとして人権団体等から批判を受けています。技術を使って、暗に「利口な」選択を人々に迫っていると。

藤田: 私たちは技術的に規範化されていく可能性があると—今回の提案は、技術的にそれに抗おうとしているわけですが—そう考えると、知や技術に対する私たちの態度を考える意義は深そうです。歴史を振り返ると、知や技術に対する人々の態度は、保守と急進の2つに大別できるように思われます。それぞれ、知や技術を制御し道具として扱おうとする態度、自律的に高度化する知や技術を人間の理解を超えた魔術的なものとして扱おうとする態度のことですが、この他に、少数派ながら中道的な態度も存在すると思われます。つまり、知や技術と人間は共に変化しあう主体=「デジタル・人間」であるとして振る舞う態度です。「2084」は、人間とデータのハイブリッドを都市問題として中道的立場から解こうとしているようですね。
小松: そのように意識してはいませんでしたが、確かに都市に住まう人と技術は、かつてないレベルで不可分になっていると思います。建築や都市に携わる者にとって、技術か人かの二分法を脱した第三のスタンスは、今後重要かもしれませんね。
小松: そのように意識してはいませんでしたが、確かに都市に住まう人と技術は、かつてないレベルで不可分になっていると思います。建築や都市に携わる者にとって、技術か人かの二分法を脱した第三のスタンスは、今後重要かもしれませんね。
