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1.メディアの会社で考えたこと

2. メディアは魔法の絨毯のようだ

3.メディアはプロジェクトを動かすドライバーにもなる

4.ささやかでもメディアと現実をつなぐ場の発見

5. メディアに流通/不動産をくっつけたことによるダイナミズム

6.リノベーションの一般化・社会化

7.公共住宅をいかに自由にするか

8.TOOL BOX 住み手に委ねるための空間とシステム

9.エリアコンバージョン 点から面へ/都市計画の方法論

10.イベント(非日常)が次第に日常に還元されていく

11.「新しい郊外」の発見

12.3.11で考えはじめたこと

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馬場 こんにちは。紹介していただきました馬場正尊と申します。今日は、紹介していただいたように、「建築×メディア×不動産 横断で見えてきた方法論」というタイトルで話をさせていただきたいと思います。
まさか、日建設計主催のフォーラムで私が話すなんて、自分でもちょっとびっくりしています。恐らく日本の建築のメインストリームであろう日建設計ですが、僕は完全にサブカルチャーです。今日は、カウンターカルチャーとしてこういうやり方もあるという方法論みたいなものを感じていただければと思います。
紹介があったとおり、僕は早稲田大学の建築学科で、奇才と言われる石山修武さんという建築家に師事しましたが、そこで、既に領域をちょっと踏み外してもいいよという空気を学んだような気がします。その後、博報堂という広告代理店に入ります。そこでメディアの世界を知ることになります。今は東京R不動産というウエブサイトを始めてみたり、建築を軸足にしながら、ほかの領域にちょっとずつはみ出しながら活動しています。今日ははみ出す10年ちょっとの軌跡を、時系列で話させていただきながら、その中に、新しい仕事の仕方、新しい都市計画、新しい建築をつくっていく方法論の可能性が少しでも垣間見えるとハッピーだと思っています。
(図1)
僕は今Open Aという設計事務所を仕事の中心にしています。Open Aの「A」はもちろんArchitectureです。Open Architecture、これが事務所の名前であり、そして僕の姿勢です。建築という領域をいかに開いていくかというところを事務所のドメインにしています。同時に、Open Architectureというのはコンピューター用語でもあります。OSを公開することによっていろんな人がかかわることができるということをOpen Architectureといいますが、そこはダブルミーニングで、この事務所を軸にして、いろんなことがいろんなかかわりを持ってくれたらいいのではないかという姿勢で僕は仕事に臨んでいます。
(図2)
ご存じの方もいると思いますが、うちの事務所は比較的リノベーションの仕事、都市を再生する仕事が多いです。案外一軒家も多くて、こういう郊外の一軒家の設計をたくさん手がけています。
(図3)
同時に、この10年間は、自由空間のリノベーション、古くなった建物の再生に特に力を入れています。最近は、公共空間(パブリックなスペース)をいかにリノベーションするか、それ自体がパブリックという概念の読み直しになるのではないかと思っていますが、そこに視点が向いています。
(図4)
そして、普通の建築家と一番違うのは、不動産仲介ウエブサイトをひょんなことから運営し始めたことだと思います。このいきさつは後で細かく出てきます。


メディアの会社で考えたこと

(図5)
メディアの会社で考えたこと。臨海副都心の都市博中止と次の時代の都市計画、まちづくり。僕が最初に広告業界に入って味わったことがその後の僕の仕事の仕方に大きな影響を与えます。お顔を見るとこの事件を知っている方が多そうな世代なので、ちょっと安心しますが、1996年、僕が会社に入って2年目ぐらいのとき、僕は世界都市博覧会という中止になった博覧会を担当していました。会場は臨海副都心、今フジテレビなどがあるあたりで、巨大な博覧会が計画されていました。僕は入社早々、建築出身だったので、その担当にさせられます。この都市博は中止になります。朝日新聞のある小さな記事から始まるんです。税金の無駄遣いで、都民の知らないところでこんなにでかいプロジェクトが進んでいる。それと、都知事選が重なり、都市博の中止を公約にした青島さんが当選します。
そのとき既に博覧会の基礎工事の現場が始まっているんです。僕は本当に中止になるのかなと思いながら見守ってましたが、その朝日新聞の記事、メディアが次のメディア、次のメディアと上書きされて、都知事選とタイミングが重なったことによって、青島さんが当選して本当になくなるんです。僕はヘルメットをかぶって現場の基礎を打って、ディレクターをやりながら、本当になくなってしまったと思います。
メディアが都市をつくるための重要なインフラの1つになったのではないかということを感じました。20世紀は道路、水道、ガス、いわゆるハード的なインフラによって都市が支えられてきて、それをつくっていけば都市ができていくような感覚がありました。だけど、ちょっとしたメディアの情報の伝達のミス、構築ミスから、都市の計画自体が瓦解するんだというのを目の当たりにして、そこに何か新しい都市計画やまちづくりのヒントがあることに気がつきます。
そこに建築が果たしてどういうコミットメントをしていたのかということも含めて、僕はその数年後、大学に戻ってもう一回考え直すということがあります。これが僕のスタートになっています。

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