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1.メディアの会社で考えたこと

2. メディアは魔法の絨毯のようだ

3.メディアはプロジェクトを動かすドライバーにもなる

4.ささやかでもメディアと現実をつなぐ場の発見

5. メディアに流通/不動産をくっつけたことによるダイナミズム

6.リノベーションの一般化・社会化

7.公共住宅をいかに自由にするか

8.TOOL BOX 住み手に委ねるための空間とシステム

9.エリアコンバージョン 点から面へ/都市計画の方法論

10.イベント(非日常)が次第に日常に還元されていく

11.「新しい郊外」の発見

12.3.11で考えはじめたこと



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(図6)
 僕は大学に戻って『A』という雑誌の編集長を始めます。メディアについての論文を書こうかなと思っていたんですが、実例もなく、自分でメディアをつくってしまおうというところに注力をし始めました。広告代理店にいた僕は、メディアをつくっている人、持っている人がうらやましくてたまらなかった。何故かというと、あくまでも代理店だったからです。自分で情報を発信する媒体を持つことの強度みたいなものがわかっていたんだと思います。今はフェイスブックだ、ツイッターだといって、自分の情報を発信する方法は幾らもあるんですが、時は1998年、そういうメディアはありませんでした。僕は4年間、雑誌『A』の編集長をします。メディアをつくるプロセスの中でいろんなことを学ぶわけです。
(図7)
必ず「都市と○○」というテーマにしました。これは「都市と衣服」、「都市とファッション」。ファッションのように都市を捉えるにはというテーマで雑誌をつくってみました。そこで取材という手を僕は覚えるんです。
(図8)
自衛隊なんかに取材に行っています。最も軽い建築とは何だろう、それを使いこなしているところはどこだろう、自衛隊じゃないか。テントを世界中で展開しているので、自衛隊に取材依頼を書いた。受けてくれるんだろうかと思ったら、すごくウエルカムで、いろんなテントを実際に見せてくれた。取材という名前だと、いきなりいろいろなところに行けるんだということを覚えます。

 

メディアは魔法の絨毯のようだ

(図8)
そのときに、メディアは魔法の絨毯みたいなものだなということに気がつきます。取材という伝家の宝刀を使えばかなり困難なところにも入っていける。その方法をその後たくさん使うようになります。
(図9)
「都市と野生」という号をつくったときがあります。「都市と環境」と言いたかったのですが、ちょっと環境というのは照れくさいので、野生と言ってみました。そのときに取材に行こうと思ったのがこの人、宮崎駿さん。取材嫌いで有名だったんですが、「あなたに映画のことを聞きたいわけではない。あなたの都市論を聞きたい」というラブレターをワーッと書いたら、「それなら受ける」と言って、受けてくれたんです。本当に取材に行けた。めちゃくちゃ緊張して、質問を14個考えて行ったんですが、「都市について聞きたいんですけど」みたいなことを言うか言わないかの間に、ブワーッと話し始めて1時間半話しっ放し。魔法の絨毯ですね。こんなマイナーな雑誌でも会いに行けるということに気がつきます。

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